宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘!武蔵は時間通り巌流島にやってきた!?

歴史

 

皆さん、不世出の剣豪である宮本武蔵が、佐々木小次郎との果し合いで
巌流島に遅れてきたと言われていますが、実は時間通りに巌流島にやってきたのを
ご存知でしたか?

 




宮本武蔵は時間通り巌流島にやってきた!?

 



 

そもそも巌流島の決闘とは?

 

皆さん、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘を御存知ですか?

関門海峡に浮かぶ巌流島(正式名称は「舟島」)で慶長17年(1612年)

4月13日に行われたとされる果し合いです。


宮本武蔵はわざと遅参することによって、佐々木小次郎を焦らして

心理的動揺を誘ったとしています。

 

佐々木小次郎が「遅いぞ武蔵、臆したか!」と叫びながら長い刀を抜き、鞘を投げ捨てます。

すると宮本武蔵が即座に「小次郎、破れたり!勝つ者がなぜ鞘を捨てるか!」と切り返したそうです。

 

 




なぜ武蔵の遅参説が?

 

実際には宮本武蔵は時間通りに巌流島に現れたといいます。

ではなぜ武蔵の遅参説が有名なのでしょうか?

 

 

武蔵の遅参説は決闘から150年後にいわれてきたそうです。

吉川英治の小説「宮本武蔵」の影響で宮本武蔵が有名になったのですが

この小説が連載されたのは1935年です。

 

宮本武蔵という実在した人物のフィクションであり、

肝心の年月や具体的な戦いがどうであったのかについては、実は分かっていません。

 

 

では最も信頼できる史料は?

 

実際にこの二人の決闘はどうだったのでしょう?

 

最も信頼できる史料は、北九州にある小倉碑文である。

武蔵の養子「伊織」が養父の没後9年目に建てたものであり、

巌流島の決闘に関して、「両雄同時に相会し」と記しています。

 

やはり宮本武蔵は遅参してないと考えた方が良さそうですね。

 

 

佐々木小次郎はおじいちゃんだった?

 

ところで佐々木小次郎は実はおじいちゃんだったのでは?とも言われています。

 

宮本武蔵に関しては1584年生まれと史料には書かれていますが、

佐々木小次郎について何も分かっていないそうです。

 

そもそも存在したのか?すら疑問ですね。

 

まとめ

 

いかがでしょうか?

巌流島の戦いは有名なお話ですが、どうやら作り話のところが多そうですね。

また宮本武蔵と佐々木小次郎にはかなりの年齢差があったのでは?

とも言われています。

 

佐々木小次郎は存在しないのでは?とか、おじいちゃんだったのでは?とか言われると

たとえ宮本武蔵が遅参することなく現れて、佐々木小次郎の心理的動揺を誘った

訳ではないにしても、「武蔵は卑怯だ」と言われかねないですよね。

 

 

宮本武蔵は約束の時間は守って勝利したことは

間違いないと信じたいですね。

 

 

それではまた。